アジア・アウトリーチ・AR214

 日本で40 年間にわたり宣教の働きをしてくださった、前アジア・アウトリーチ・ジャパン(AOJ)主事のロウェ ン・レモン先生が、昨年12 月28 日に主のみもとに召されました。レモン先生は30 歳から70 歳までの40 年間 を日本に住みながら日本とアジアの宣教に捧げてくださいました。
 レモン先生が引退をなさり、2009 年に日本を離れる理由の一つが気管支の問題でした。郷里のロスアンジェルス に帰った方が好転するのではないかということでした。しかし、あまりその効果はなかったようで、特に昨年の8月 から症状は悪化し、入院なさり、遂に天に召されました。
 レモン先生は、日本に重荷を持った熱心なクリスチャンのご両親の元で育ちました。カリフォルニアの浜辺に立っ た幼い少女は水平線の向こうにある日本という島国のことを考えていたそうです。宣教師として、看護師になる勉強 や、英語教師としての資格を取って備えていたレモン先生に、神様が日本に行きなさいとお語りになりました。
 30 歳で日本の地を踏んだレモン先生は、奈良県の橿原市や名古屋市で主に仕えました。その後アメリカのクライ スト・フォー・ザ・ネイションズという聖書学校でもう一度学ぶ決心をなさいます。そして、そこでアジア・アウト リーチ創設者のポール・カウフマン師と出会うのです。カウフマン師から、「日本からアジアへの働き」のビジョン を受け取ったレモン先生は、日本に帰国後、AOJ の働きを開始しました。
 私が日本から中国・アジアの宣教に遣わされたのは、レモン先生がAOJ の働きを始めてくださって間もない頃、 AO 創設者のポール・カウフマン先生を日本にお招きして、「中国宣教の集会」を開いてくださり、そこに出席したこ とがきっかけでした。これからは日本の教会が成長し、日本の教会が宣教の働きをする様になるとのヴィジョンを持 ち、日本の教会にアジアの働きを紹介し、ある時は自らアジアに出かけて行ってお働きをしてくださったのです。
 1 月14 日(木)ロスアンジェルスの教会The Rock で開かれたレモン師の葬儀・記念会に、私はAOJ 及びアジア・ アウトリーチ全体を代表して出席させていただき、ご遺族の方々に主からの慰めと励ましがあるようにお伝えいたし ました。
 加えて、レモン先生の日本でのお働きについてメッセージさせて頂く機会を持つことができましたことは幸いでし た。その中で、前AOJ 協議会議長の小山大三師からの弔辞と、前AO インターナショナル会長フランシス・ツイ 師からの弔辞も読ませていただきました。
 レモン先生は寡黙な方でしたので、私がお話しさせていただいた生前のレモン先生の日本における種々の働きを、 ご家族や友人の方々でさえ初めて聞いたということで、大変喜んで頂くことが出来ました。
 背後で、宣教の働きをお支えくださったアメリカの教会の方々にお礼を申し上げると同時に、まだ終わっていない 日本とアジアの働きに関して、続いて祈ってくださるようにお願いをすることもできました。
 また、日本に重荷を負って現在日本の会社に勤め、準備ができたなら宣教師として遣わされたいという日本語を流 暢に話すアメリカ人の若者に会うことができたことも大きな励ましでした。
 レモン先生のヴィジョンは、日本からアジア各地へ、世界へ宣教師が遣わされ、宣教の働きが拡大することでした。 そのために、日本の各地域教会が成長し、強くなり、世界宣教のヴィジョンを持って前進することでした。
 レモン先生が2009 年に日本を離れる時に残してくださったみことばは、次のものでした。
 「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。 わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」( 創世記28:15)
 レモン先生は、主イエス様の側近くに召されましたが、私たちは日本のリバイバルと世界への宣教を目指して、こ れからも前進を続けてまいりたいと思います。 



レモン先生の召天の報に接し

青森キリスト教会 ジョイフル・チャペル牧師  澁谷 友光 

この度、私の恩師であり、もう一人の母であるロウェン・レモン師の召天の知らせをお伝えくださり、ありがとうござい ました。
 大変悲しいお知らせでしたが、真実な主がレモン先生の全ての働きに対し「よくやった。良い忠実な娘よ。」と、み腕に抱き慰めて くださっていることを確信します。
 私は東京の高円寺で三番目の子として生まれましたが、生まれるとすぐに両親は離婚してしまいました。
その後、母が養育を拒否したため、私と兄は叔母にあたる養母(澁谷あき)の養子になりました。兄が8歳、 私が4歳の頃です。その時、クリスチャンである養母は奈良県橿原市の宣教師館である橿原クリスチャンセ ンターで、レモン先生と一緒に住み、幼稚園と宣教の働きをしていました。
 レモン先生と養母は、いつも神の愛をもって、御言葉から教え育ててくださいました。叱る時も褒める時 にも、私たちと実子のように向かい合ってくれました。ですから、レモン先生は私たちのもう一人の母でした。 家庭を失った私は、そこで家族を味わうことができました。今も思い出すのは、リビングに大きなクリスマスツ リーを飾ってくれて、ツリーの下に一人一人にプレゼントの包みが置かれていたことです。クリスマスの当
日、私たちはプレゼントを受け取りました。自分だけの物をプレゼントされた事が無かった私たちにとっ て、本当に忘れられない体験となりました。
 私は今、日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の牧師として、1992 年から青森キリスト教会ジョイ フル・チャペルを開拓し牧会しています。
 2008 年にレモン先生はチベットのルースさんと一緒に、わざわざ青森まで訪ねて来てくださいました。 その時も「友の大好きな物を持ってきたよ。」と、もう父親になっている私に、綺麗な缶の箱に入った手作 りのチョコチップクッキーを渡してくれました。感動で胸がいっぱいなりました。
 今日の私があるのは、レモン先生の祈りと愛のおかげです。
 私も先生の献身の姿勢に習い、やがて再会する時まで、宣教に励んで行きたいと思います。
 素晴らしい出会いを与えてくださった主を誉め讃えます。



アジア・アウトリーチ

アジア・アウトリーチ・ジャパン・・・アジア・リポート No.214

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JANUARY - MARCH 2016.