アジア・アウトリーチ・AR228

アジア・アウトリーチの心

キリストのからだにおいて神様に仕える

アジア・アウトリーチ・マレーシア 理事 ピーター・ウー

 「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、
その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。」
(Ⅰペテロ4:10)

 救われた者が全員、宣教地に遣わされて宣教師となる召しを受けているわけではない。私たちはさまざまな形で神 様に仕えることができるのでそれぞれが神様の招きに従順でなくてはならない。「私は主に仕えるには年を取りすぎ てしまった!」と良く耳にする。これは真実ではない。なぜならば、神様はゴリアテを倒すために、若くてまだ人 生経験にも乏しい羊飼いの少年を用いることができたからだ。年齢は関係がない。もしあなたが用いられたいと願う ならば神様はあなたを大いに用いることができる。重要なのは「用いられたい」という主への心の願いなのだ。
 ある者は、足を用いて主に仕え、宣教師のように神様のみことばを伝えるべく宣教地で働く。また別の者は、宣教 地にいる働き手を支えるために召されている。支援、特に経済的な支援は宣教地で働く者の重荷を和らげることにな る。それは彼らと彼らの働きに必要なものを満たす助けとなるからだ。また、ある者は、宣教地の働き手を祈りによっ て支え、とりなす者として召されている。どのような召しであれ、神様の招きに応じて主の羊を助ける者を主は必ず 祝福してくださる。

 クリスチャンの組織はどれもとりなしの祈りを必要としている。私たち、アジア・アウトリーチにも、献身的な祈 りの勇士たちのグループが与えられている。これは大きな祝福だ。私たちは彼らに祈祷課題を送り、彼らは月一回集 まって働きのために祈りをささげてくれている。さまざまな具体的な必要のために祈るとともに、神様のみこころが 悟られるようにと、熱心に祈ってくれている。
 とりなしの祈りは戦いである~神様がもっておられる戦いの計画のカギを握るのが祈りだ。しかし、私たちの戦 場は地上に属するものではない。エペソ6:12 には「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主 権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるものもろの悪霊に対するものです」とある。祈りはこの霊的世界に おける戦いを意味している。霊的世界において、私について、私の家族について、私の友について、私の国について、 そして私の働きについての勝敗が決まる。聖霊は、祈りに対する重荷を私たちの心に与えてくださる。
「わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。 彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、 すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。」( イザヤ56:7)
 祈りに重荷を感じる兄弟姉妹が与えられ、私たちのために祈ってくれていることは本当に大きな恵みである。宣教 地にいる働き手や宣教師たちの多くは、彼らのために祈っている兄弟姉妹に会ったことがない。それでも、定期的に 集まって献身的に祈ってくれていることを聞いてとても慰められているのだ。彼らの祈りは月一回に限ったことでは ない。緊急的な必要が生じた場合、すぐに祈祷課題を送るのだが、それを受け取ったことを祈りのグループは早急に 返事してくれている。彼らの祈りによって神様のみわざが現わされている。
 私たちは、力あるとりなしは神様の心と一致するところから始まると信じている。神様のみこころにかなう祈りは 神様の答えを得る。力あるとりなしは信仰による行いであり、とりなしは「芸術」である―特定の状況や人のために、 神様の心と私の心を一致させるという芸術だ。二人以上が集まる所に一致の力が現わされる。「ふたりでも三人でも、 わたしの名において集まる所には、わたしのその中にいるからです」(マタイ18:20)とりなし手は、人々が解放され、 救われ、いやされ、自由にされて欲しいという強い願いと重荷をもっている。しかし、その祈りが答えられるのは自 分たちの力ではないことをも知っている。とりなし手として、私たちのために非常に忠実に祈っている兄弟姉妹を特 に覚えて敬意を表したい。

 もう一つのグループにも感謝を表したい。それは、機関誌や手紙の配布を手伝ってくれている忠実なボランティア グループだ。女性たちによるこのグループは、影で多くの奉仕をして主の愛について多くのあかしをしている。ボラ ンティアグループによる奉仕がなければ、機関誌の配布は期日通りに進まない。ボランティアグループを構成してい るのは、主を愛している、50 代から80 代の女性たちで、彼女たちはいつでも主に仕える方法を考えてい る。彼女たちが集まると、まごころこめて機関誌を丁度良い封筒にいれて、一日かけて発送作 業を行っているのだ。ある婦人は杖をついて来てくださり、自分に与えられた責任を必ずやりとげると決めている。
 この作業の中にもすばらしい交わりが持たれている。互いからの助言を得るために問題を分かち合っている。そこ にはたくさんの笑いもある。私たちは彼女たちによって大きな祝福を得ていることから、この場をおかりして敬意を 表したい。ボランティアの方々、私たちアジア・アウトリーチを助けるために時間を献げてくださって、本当にありが とうございます。主に仕える上で、年齢はそれほど大きな問題ではないと思います。神様は心をご覧になられるの で、仕えたい心があれば、神様はみなさまを用いてくださいます。神様はあなたがたに対して、今でも、場所と目的 を持っておられます。「彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。彼らは年老いてもなお、実を実 らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。こうして彼らは、主の正しいことを告げましょう。」 (詩篇92:13-15a)

 皆様にも、年齢にかかわらず、果たすべき目的が与えられていることをご存じだろうか。神様は皆様に霊的な賜物 を授け、力や情熱や召しを与えておられる。もしこれについてまだはっきりしていないのなら、ぜひ、 発見していただきたいと思う。「このような時に」なぜあなたが存在しているのかを、 神様は知ってほしいと願っておられる。年をとってしまって、人生における召しはもう過ぎ去ってし まい、これからは別に何もないと感じておられるだろうか。新しいチャンスや良い機会は、最近救われた人や若い人た ちにだけ与えられていると思われるだろうか。覚えておいてほしいことがあります。神様に仕えたいと願っているあ なたにとって、あなたは決して年齢を重ねすぎてはいないのです。神様は心を見て喜ばれるからです。神様がさまざ まな機会を与えてくださるように、一緒に祈り求めようではありませんか。
 「今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、 主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。しかも、 モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入り にも耐えるのです。どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。あの日、あなたが聞いたように、 そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたよう に、私は彼らを追い払うことができましょう。」(ヨシュア記14:10-12)

 




アジア・アウトリーチ・ジャパン・・・アジア・リポート No.228

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JULY - SEPTEMBER 2019.