アジア・アウトリーチ・AR232

 宣教の歴史を見て、数えきれないほどの先駆者たちの個人的な経験から学べば、困難で難しい時にこそ、 予期していなかった宣教の機会が訪れると言えます。
 ご存じのように、福音がエルサレムからガリラヤとサマリヤへと広がったのは、初代教会における最初の殉教者たちがきっかけでした。 使徒の働き11章には、迫害によって散らされた弟子たちが、異邦人に福音を伝えたことが記されています。現地の異邦人たちの中から多くの人がイエスを信じるようになりました。パウロも主のために投獄されました。しかし突然その牢獄が、福音を伝えるための プラットホームとなったのです。パウロを絶えず監視していた監守たちは、福音に耳を傾ける人とへと変えられたのでした。
 中国が社会改革による洗礼を受けている中、福音は早く広がって行きました。イランでは、クリスチャンに対する政府の弾圧がありましたが、 国の指導者たちに失望した多くの国民がキリスト信仰を受け入れたのでした。このような現象は私たちに何を伝えているのでしょうか。
 必ずしも、迫害が福音の繁栄をもたらすとは言えないかも知れません。しかし、それらには関係があるのでしょうか。 今日のような平穏な時には、自分の信仰が強いか弱いかは気になりませんが、信仰は試練や迫害の時に試されます。 ですから、苦しい時にいわゆる普通のクリスチャンを見いだすことはできず、「真剣なクリスチャン」しか見いだせないのです。 自分の人生に残されたものを用いて、福音の真理が伝わるように生きるようになるからです。
 ある牧師は、香港における困難や課題に対してどのように向き合えばよいのかと尋ねられました。前向きか、 それとも後ろ向きであるべきなのかという問いです。牧師は次のように答えたそうです。「課題に対して私たちがどのように向き合うかは、 私たちがどのように神様に従っているかを反映する。」私たちが悲観的であるのか、それとも楽観的であるのか。 それは私たちの霊的な基礎にかかっているということです。
 今日、新しい生活様式によって、日々の生活には様々な制限がもたらされています。例えば、社会生活における人々との接点、 教会に集まっての礼拝、海外旅行などが大幅に制限されています。このようなとき、神様が私たちに願っておられることがあります。 もしも、いのちだけがあったとすれば、どのように生きるべきなのかを深く考察することです。困難の中にあっても、 みなさんには生きていることを実感してほしいと願っています。

 みなさんに紹介したい音楽放送があります。動画・・恵みの写真・・
これには宣教師のビジョンとともに、あなたの人生のポートレートが流れています。
将来のアルバム写真では、忠実な主が私に微笑んでおられるのを見ることができますように。



アジア・アウトリーチ・ジャパン・・・アジア・リポート No.232

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JULY - SEPTEMBER  2020.