アジア・アウトリーチ・AR238

伝説の中国人牧師、
ジョージ・チェン(陳敏穎)天に召される

     元アジア・アウトリーチ香港主事 
                  ジェームズ・チャク  

 ジョージ・チェン牧師は、1934年2月中国の裕福なクリスチャン家庭に生まれた。師が生まれた時代は非常に環境が悪かった。 やがて、中国が共産主義化し、文化革命を迎えると、し尿が溢れる肥だめの中に送り込まれたが、 その場所を主の臨在に満ちた園へと変えた。

 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、 神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、 私たちは知っています。」(ローマ8:28)

 1952年にチェン牧師は、当時繁栄していた上海にあった聖書学校を卒業した。19歳だったチェン牧師は都会の大きな教会にではなく、 ある貧しい村の小さな教会の牧会に招待され、これを了承した。やがてチェン牧師は、中国の国内はもとより、 国際的な働きをすることになるが、チェン牧師はこの村の教会を我が家として愛し、 中国の新年になると、毎年のようにここへ帰省していた。

 1957年は、チェン牧師が収容労働、投獄といった迫害を経験する始まりとなった。 そして、その迫害はその後18年もの間続いたのである。 このうちの8年間、彼は汚物の肥だめの清掃という、最も劣悪な労働に送られた。毎日肥だめを清掃するという仕事に。 その場所はあまりにも悪臭がひどかったので、誰も近づきたくない所だった。しかし、誰も近づかない監視の目がないこの場所に、 チェン牧師は自分の自由を見つけたのだった。1メートルもの深さがある汚物だめを清掃しながら、主に歌い、 主に祈るようになっていた。「さびしきみ園」という古い聖歌が実体験となっていたのだ。

「私は、さびしきみ園に一人でやってくる。
 朝早く、バラの上にはまだ露がしたたっている。
 その時、私の耳に、主のみ声が聞こえる。
 神のみ子が現れる。 
主が私と共に歩み、主が私にお語りくださる。
 私がご自身のものであると。
 そこに主と共に居て、主と分かち合う喜びを、
 他のだれが知ることができるだろうか?」


 医療に関心を持っていたチェン牧師は、清王朝時代に皇帝に仕えたある医者から中国医療に関する学びを受けた。 投獄されていた時も、チェン牧師は牢獄の病院で「素足の医者」と呼ばれていた。彼は処方をし、 針治療を施すこともできた。チェン牧師の妻も、彼が針治療の他にもいくつかの療法を施していた記録を見つけている。

 23歳で神のみことばに仕える者となった若者は、18年にも及ぶ迫害の中で、 主によって神のことばの働きをするご自身の器として愛と恵みにより取り扱われ、将来の働きのために聖別されて、 成熟していった。そして神との親しい交わりを証する者となった。

 1977年に旅することを許されると、チェン牧師は香港に行き、すぐに私たちアジア・アウトリーチと協力した。 この協力関係によって、チェン牧師の人生に示されてきた神様の恵みを大胆に証する門が開かれたのだ。 さらに重要なことは、チェン牧師を通して、それまでは竹のカーテンの後ろに隠されていた教会や牧師たちに何が起こっていたのかを、 世界中のキリスト教会が正しく知ることとなったのだ。チェン牧師は、アジア・アウトリーチの働きに制限されず、 世界中から歓迎された。

 チェン牧師の働きにおいて最も注目を浴びた事柄は、1989年7月11日から20日まで開催された 第2回ローザンヌ大会におけるチャイナ・ナイトでの分かち合いの時であった。この直前の6月4日には、 北京の天安門広場の事件があった。チェン牧師の話が終わると、会衆は総立ち となって泣きながら祈りを続け、拍手はしばらく止むことがなった。チェン牧師は滞在していた ホテルに帰って祈るために、静かに会場を後にした。

 チェン牧師は世界中で出会った多くの友と一緒に、母国中国のために祈りの山を積み上げた。 そして、チェン牧師とアジア・アウトリーチは、中国の必要のために世界中からの支援を届ける祝福の管とされた。 それはちょうど中国が開かれていこうとしている1980 年代の頃であった。チェン牧師は教会の修復や建て直し、病 院を設立していった。また、特に少数民族が多く住んでいる辺境な地方の村々に出向き、聖書学院を開いては、みこ とばの学びをもって地域宣教を支えた。アジア・アウトリーチは、それらの地方の部族語の聖書を印刷して支援した。

 チェン牧師は休むことなく中国のあちらこちらを旅した。80 歳を迎えて正式に退職した後でも、 チェン牧師はいくつかのプロジェクトに目を通し ていた。そして、その行く所において、どこででも伝道集会やリバイバル集会を開いたのであ る。チェン牧師は決して近づき難い、大説教家のようなタイプの人物ではなかった。むしろ、 彼は、若い牧師たちに、逆境の中でもその召命に忠実であるようにと励まし、多くの時間 を個人的な交わりとカウンセリングのために用いていたからだ。

 私たち、アジア・アウトリーチは2022 年春(中国式に)彼の90 歳の誕生日を祝うための計画をしていた。ところ が、チェン牧師はそれよりも先に、2021 年10 月27 日に主との晩餐をもつために天に召された。そして必ずや「良 くやった、忠実なしもべだ!」とお褒めのことばを主からいただいたに違いない。




アジア・アウトリーチ・ジャパン・・・アジア・リポート No.238

もどります。


asian report  ASIAN OUTREACH JAPAN Official Website
JANUARY - MARCH 2022.